【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =004=

2017-05-13 10:30:00 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像

◇◆ 第二回 マーク・レーナー博士との出会い = 1/2= ◇◆

エジプトでピラミッドが最も密集して建てられているのは、カイロ近郊のギザからダフシュールまでの南北25キロほどに広がる「メンフィス・ネクロポリス地区」である。 ここは世界遺産に登録されており、古代エジプトの時代区分でいう古王国時代(紀元前2543-2120年頃)に、大小様々なピラミッドが70基以上造営された。

 この時代の研究をしている世界的に高名なエジプト考古学者が3人いる。 1人目は、クフ王の父親であるスネフェル王が造営した赤ピラミッドと屈折ピラミッドが立つダフシュールの研究を行っているドイツのライナー・シュタデルマン教授。 2人目は、第5王朝時代(紀元前2435-2306年頃)のピラミッド群が立ち並ぶアブシールで長年にわたって調査を行っているチェコのミロスラフ・ベルナー教授。 そして3人目が、三大ピラミッドが立つギザ台地で発掘調査を行っているアメリカ人考古学者マーク・レーナー博士である。

 それぞれが個性的な経歴を持ち、数多くの考古学的に重要な発見をし、啓蒙的な論文や報告書を書いているが、他の2人と比べても、レーナーの経歴は極めてユニークだった。 実は、彼はもともとアメリカのニューエイジ運動の影響を受けた研究者だったのである。

 1973年、レーナーは「眠れる予言者」とうたわれたエドガー・ケイシーという心霊治療家のリーディング(催眠状態で語る内容)を信じて、1万2000年前に栄えたという超古代文明アトランティスの存在を証明するためにエジプトにやって来た。 しかし、そこで見つけたのは「神々の足跡」などではなく、まぎれもない「人々の足跡」だった。そのため、彼はケイシーのリーディングは内的世界の話であり、現実世界のことではないと考え、そこから現場を重要視する実践的な考古学者へと180度方向転換する。 そして、以後40年以上にわたり、ギザ台地の発掘調査に力を尽くすことになったのである。

「ピラミッド・タウン」の発見

 考古学者としての道を歩み出したレーナーは、その後、ギザの大スフィンクスを初めて精密に実測し、その遺物から神秘性を剥ぎ取り、歴史を明らかにすることで博士号を取得している。

 次に、彼はクフ王の母親であるヘテプヘレス女王について研究している。 彼女の墓は大ピラミッドの東の竪坑から発見されているが、不思議なことに、未盗掘であったにも関わらず、棺の中はからっぽだった。 発見者であるジョージ・ライスナーは想像に富んだ仮説を立てたが、レーナーは、刑事事件の現場検証のように、発掘現場と報告書を綿密に調べ上げ、その理由を解明した。

 さらに1985年には、ギザのピラミッドを造営した人々の町があるはずだという大胆な仮説を発表した。 これまではナイル川を挟んで、太陽が昇る東に生者の町があり、西には死者の町である墓しかないと考えられていた。 しかし、レーナーは、ピラミッド建造が国家プロジェクトとして行われていたのであれば、町は、ピラミッドのすぐ近くにあったはずだと推論したのである。

ダハシュールは、カイロの南約40キロメートルのナイル川西岸の砂漠にある王家のネクロポリス(王家の墓地・埋葬場所)である。いくつかのピラミッドがあることで知られており、中でも2つのピラミッドが特に古く大きく、保存状態もよい。

エジプト古王国時代のクフ王の父スネフェル(紀元前2613年-2589年)が建設した屈折ピラミッド赤いピラミッドがある。 屈折ピラミッドは独特の形状をしており、建設中に技術的問題が発生したためにこのような形状になったと見られている。 赤いピラミッドは世界初の階段状でないピラミッドである。

エジプト第12王朝アメンエムハト2世(紀元前1929年-1895年)のピラミッドは保存状態が悪い。 その隣から王家の女性の盗掘を免れた墓が見つかっており、多数の宝石類が出土している。 センウセルト3世のピラミッドは、南方のもう1つのピラミッドや王家の女性の小ピラミッド群と共に巨大な複合体を形成している。 このピラミッドに隣接する通廊墓からはセンウセルト3世の娘の2つの宝物が見つかっている。

黒いピラミッドアメンエムハト3世の治世後期のものとされ、浸食が激しいが、スネフェルの2つのピラミッド以外では最も印象的な記念碑である。 黒いピラミッドの頂上部にあった花崗岩製のピラミディオンは、カイロのエジプト考古学博物館のメインホールに展示されている。 このピラミッドの隣から、エジプト第13王朝の王ホルの墓(一部盗掘済み)とその娘と思われる Nubhetepti-khered の墓(未盗掘)が見つかっている。

ダハシュールには他にもエジプト第13王朝のピラミッドがいくつかある。 発掘調査が行われたのは、そのうち Ameny Qemau のピラミッドだけである。 尚、ダハシュールのピラミッド群の周辺には、エジプト古王国エジプト中王国の役人の墓地も多数見つかっている。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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